Josef Hoffmann(ヨーゼフ・ホフマン):クブス(3人掛けソファ)をデザイナーズ家具専門店のArtchair(アートチェア)では格安かつ送料無料にて販売しています。
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Artchair Selection 【クブス(3人掛けソファ)】
Artchair Selection【クブス(3人掛けソファ)】
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この商品は受注生産品につき、納期はご予約後3〜4ヶ月
商品情報
■サイズ:W2280×D780×H750 SH440
梱包重量:83.0kg、1梱包
■デザイナー:ヨーゼフ・ホフマン
(Josef Hofmann)
■仕様:
【背座】張地の本革からお選び下さい。---イタリア製
【背もたれのクッションと座面のクッションの内部】高密度ウレタン、ポリエステル綿
【脚】バーチ材ブラック塗装仕上げ
【輸入会社】E-COMFORT(イー・コンフォート)---製造元:中国
【保証について】通常の使用により機能を有さなくなったと判断される破損や破壊の場合はE-COMFORT(イー・コンフォート)が1年間保証致します。尚、ご使用における細かい傷、洗剤やクリーナーなどを使用したことによる変色、直射日光や使用期間など時間経過による変色・磨耗・劣化などは保証の対象外です。
*この商品はライセンスフリーとなったため海外で製造しているジェネリック品です。
■説明:クブスソファ3人掛け(Kubus Sofa)は、1910年にヨーゼフ・ホフマンによってデザインされました。クブスソファは全体的に直線的ですっきりしたフォルムをしているにも関わらず、そこには同時に格子状の手間のかかる縫製が全面に施されています。ホフマンの方形として知られるように格子状の模様がクブスソファにもみられます。ホフマン独自の考案による革新的で切り詰めた直線的フォルムは、モダンムーブメントが取り入れたフォルムの幾何学表現技法に多大な影響を与えました。ヨーゼフ・ホフマンの建築やデザインは英国のアーツ&クラフト運動に大きな影響を受けているものの、ホフマンの作品には反歴史主義が強く見られます。クブスソファからは、工業化社会による機械化が進むにつれて劣悪な商品が増えることを危惧し、ウィーン工房を興したヨーゼフ・ホフマンの信念を感じることができます。
張地色
セミアニリン革は全部で4色(表面張革色)
セミアニリン革
・セミアニリン仕上げ・・・顔料、染料を併用し表面を均一に仕上げています。
・一般的に家庭用皮革に多く使われています。
・耐久性に優れ、肌触りがよく、とても柔らかいレザーです。
ML81 ブラック ML82 ホワイト ML83 グレージュ ML84 ストレートグレー nopic nopic
セミアニリン革
ML81
ブラック
セミアニリン革
ML82
ホワイト
セミアニリン革
ML83
グレージュ
セミアニリン革
ML84
ストレートグレー
商品写真
ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファの正面
▲ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファの正面
ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファの前方
▲ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファの前方
ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファの後方
▲ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファの後方
ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファの後ろ
▲ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファの後ろ
ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファのシート
▲ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス3人掛けソファのシート
ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス
▲ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたクブス
Josef Hofmann (ヨーゼフ・ホフマン)
Josef Hofmann (ヨーゼフ・ホフマン)
Josef Hofmann (ヨーゼフ・ホフマン) 1870年〜1956年
ヨーゼフ・ホフマンは1887年にブルノの国立工業高等学校で建築を始め、ウィーンの造形芸術アカデミーでオットー・ヴァーグナーのもとで修行しました。1895年に卒業すると芸術家グループ、ズィーベナー・クラブの設立メンバーになりました。1897年にはオットー・ヴァーグナーの建築設計事務所に勤務してウィーン分離派の共同創設者になりました。これは芸術家から成る改革主義グループで、当時流行したアール・ヌーヴォー様式に反対するために創設されたものでした。1900年にはイギリスを旅し、チャールズ・レニー・マッキントッシュらをはじめとするイギリスのアーツアンドクラフト運動のメンバーと出会い、1900年第8回分離派のインスタレーションのデザインを依頼しました。1903年には分離派の主な後援者であったフリッツ・ヴェルンドルファーの財政支援を受けてウィーン工房を設立しました。ホフマンがウィーン工房で手掛けた金属細工デザインの多くは、本質的には建築的であり、その一方でその他の商業的で価格も安い金属製品にはホフマン方形として知られるようになりました。またウィーンでは建築設計事務所を経営しプルカースドルフのサナトリウム(1904年)、ブリュッセルのストックレー邸(1905-1911年)、キャバレー・フレーダーマウス(1907年)らを設計しました。1905年には分離派を離れて画家のグスタス・クリムトとともに芸術展を創設して2年後にドイツ工作連盟の創設メンバーとなり、1912-1920年までオーストリア工作連盟の会長になり、1914年ケルン「ドイツ工作連盟展」、1925年パリ「装飾美術・工業美術博覧会」、1930年ストックホルム「ストックホルム展」に作品を出品しました。建築やデザインのアプローチはイギリスのアーツアンドクラフト運動に大きな影響を受けているものの、ホフマンの作品には反歴史主義が強くみられ、独自の革新的で切り詰めた直線的フォルムは、モダンムーブメントが取り入れられたフォルムの幾何学的表現技法に多大な影響を与えました。
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